1983年山形県酒田市生まれ。
中央大学に進み、大手芸能事務所、キー局、地方局などで勤務してきました。
一貫して言えることは、『人に関わり、人に恵まれ、人に感動している』
仕事、プライベート共に人に恵まれています。
その原点を3点に絞って言葉にしてみます。
3人姉弟の末っ子で、典型的な甘えん坊だったと思います。
母親の料理が好きで、これまで食べたどんな料理よりも母親の手料理に満足しています。
今思うと、料理の内容よりも、母のおもてなしに影響を受けていたのだと気づきました。たった一人前でも、温かいものは温かく、一品一品皿に盛り付け、丹精込めて作った料理。さらに『プラスαを付ける』ことを忘れない。
いつかこの料理を一人でも多くの人に提供したい。私の長年の想いです。
小さな商店を営んでいた祖父。移動販売から店舗を持つまで事業を拡大させました。
よく言われたのは、『3回考えろ』
幼い頃からお店の手伝いをしていて、商品を買ってくれたお客さんの家にその商品を届けていました。「なにを」、「なぜ」、「どうしたらできるか」を考える癖が商売の手伝いを通して身につきました。
無理だと言われても「本当にそうか?」と考えるのが今の自分です。
どんなお客さんも大切にする。
祖父の商売魂は私の原点です。
大学まで本気で勉強したことは、簿記と会計。将来は公認会計士を目指して、大学の研究所で日夜勉学に励んでおりました。
しかし、大学3年時に火事で下宿が半焼。一夜にして家なき子に。
途方に暮れる私に、赤の他人にも関わらず、近所のお婆ちゃんが家に泊めて食事も出してくれました。
新居が見つかるまで、それから1週間お世話になりました。当時、一日も休まず勉学に励んでいたので、しばらく大学に通えなくなり絶望を感じました。
その時、心の支えとなったのは、住居と食事、そして、
心の悩みを吐露させてくれたそのお婆ちゃん。
私の泣き言を一通り聞いてくれ、『まだなんとかなる』と励まされて再起できました。
気がつけば、『プラスαを付ける』『3回考える』『まだなんとかなる』は
私の奥底に入り込んだアイデンティティです。
その後、人と触れる仕事、人の魅力を伝える仕事がしたいと思い、メディアの世界へ。タレントの営業、番組の制作、営業など、一通り経験して、東日本大震災。生きていることが当たり前でないという経験をしました。
この震災を機に、地元に拠点を移し、生活基盤を支援したいと想い、今に至ります。
安価な住居の提供、食事、そして、心の拠り所となる居場所作り…
私が経験してきた人の魅力を、今度は私が伝えていきます。
さらにエネルギッシュに創り出していきます。
私は才能と魅力のマッチングを通して、
イキイキワクワクした世の中を創り出しています。